トラウマとの向き合い方
年齢を重ねると、さまざまな経験を積み、乗り越えてきた出来事も増えていきます。
それなのに、ある日ふとした瞬間、「あの頃」に戻ってしまうことがあります。
私のいう「あの頃」とは、無力だった子ども時代です。
子どもは、自分ひとりでは生きていけません。
親や保護者、大人の力を借りなければ生きることができない存在です。
私もまた、子どもの頃は、自分で決めることも、判断することも、ちょっとした冒険をすることも、誰かと友達になることさえ、親の管理の中にありました。
まるで、かごの中の鳥。
あるいは、大切にしまわれた箱入りの人形。
そんな表現がぴったりくるような子ども時代でした。
今はもう違います。
私を管理していた親はいません。
何かにつけて私を否定していた兄もいません。
親を持ち上げていた周囲の大人たちとも関わることはなくなりました。
今の私は、自分で選び、自分で決め、その結果が良くても悪くても引き受けながら、穏やかな毎日を送っています。
それでも、ときどき心が大きく揺さぶられることがあります。
まるで子どもの頃に戻ったように、心も体も固まってしまうのです。
親ではなくても、親とよく似た態度や言葉、表情に出会った瞬間、私は一気に「あの頃」へ引き戻されてしまいます。
これが、トラウマが反応するということなのだと思います。
子どもの頃、こんな言葉を言われたことはありませんか。
「ちゃんとしなさい。」
「そんなのおかしい。」
どちらも、とても曖昧な言葉です。
何をどうすれば「ちゃんと」なのか。
何が「おかしい」のか。
具体的な説明はありません。
大人になった今でも、この言葉だけを言われたら戸惑ってしまいます。
それなのに、小さな子どもだった私たちは、その曖昧な言葉を一生懸命理解しようとしました。
怒られないように。
親の機嫌を損ねないように。
嫌われないように。
そうやって毎日を生き延びてきた人は、決して少なくないと思います。
そして、その「ちゃんとしなさい」「そんなのおかしい」という言葉は、大人になってからも心の奥に残り続けます。
まるで、見えない呪いのように。
例えば職場ではどうでしょう。
仕事を抱え込み、できない自分を責めてしまう。
「もっとちゃんとしなければ。」
そう思い続け、限界まで頑張ってしまいます。
そして、自分と同じように頑張らない人を見ると、
「あの人はちゃんとしていない。」
「それはおかしい。」
そんな思いが心に浮かぶこともあるでしょう。
子どもの頃に受け取った価値観を、無意識に他人へ向けてしまうこともあるのです。
恋愛ではどうでしょう。
相手に嫌われたくなくて、自分の気持ちを押し殺し、我慢を重ねてしまう。
理不尽なことを言われても、
「私がちゃんとしていないからだ。」
そう思い込んでしまうかもしれません。
友人関係でも同じです。
「ちゃんとしていないと思われたらどうしよう。」
「おかしい人だと思われたら生きていけない。」
そんな緊張感の中で、人と関わり続けてしまう。
気づけば、どこへ行っても気が休まらない。
いつも心が張りつめている。
そんな毎日になってしまうことがあります。
その緊張感は、少しずつあなたのエネルギーを奪っていきます。
やがて燃え尽きてしまい、
もう何もしたくない。
誰にも会いたくない。
仕事にも意味を感じられない。
恋人と一緒にいることさえ苦しくなる。
そんな状態になることがあります。
私自身も、あらゆる人間関係に疲れ切ってしまった時期がありました。
でも今なら思うのです。
それは弱さではありませんでした。
だらしないわけでもありません。
「ちゃんとしていない」わけでも、「おかしい」わけでもありません。
子どもの頃から休むことなく頑張り続けてきた、あの小さな私が、
「もう休もう。」
そう叫んでいたのだと思います。
かつて、ボクシングには、セコンドが「もう十分だ」と判断すると、リングに白いタオルを投げ入れる場面があります。
私は、あの白いタオルを思い浮かべます。
ずっと人生というリングで戦い続けてきた私に、
「あの頃の私」が白いタオルを投げてくれたのです。
「もういいよ。」
「十分頑張ったよ。」
「もうリングを降りてもいいよ。」
その言葉を、私はずっと誰かから言ってもらいたいと思っていました。
こんなに頑張っているのだから、いつか誰かが認めてくれる。
誰かが助けてくれる。
いつか終わりが来る。
そう信じていました。
でも、どれだけ努力しても、どれだけ勉強しても、誰も「もういいよ」とは言ってくれませんでした。
もしかすると私は、一番言ってほしい人以外の言葉は受け取れなかったのかもしれません。
その「一番言ってほしい人」とは、親でも兄弟でもありません。
あの頃の私自身だったのです。
親はきっと悪意があって「ちゃんとしなさい」と言っていたわけではないのでしょう。
親もまた、
「ちゃんとしなければ。」
「おかしいと思われてはいけない。」
そんな価値観の中で必死に生きていました。
子どもを守りたい。
社会で困らないように育てたい。
その気持ちは本物だったと思います。
ただ、そのために使った道具――言葉やしつけの方法が、結果として子どもの心を深く傷つけてしまった。
そう考えると、親もまた苦しみながら生きていた一人の人間だったのだと感じます。
トラウマとは、交通事故や災害のような衝撃的な出来事だけではありません。
子どもの頃、毎日のように浴び続けた何気ない言葉が、大人になってからも心を縛り続けることがあります。
私はアダルトチルドレンからの回復を学ぶ中で、そのことに気づきました。
「ちゃんとしなさい。」
「そんなのおかしい。」
この言葉の呪いから目を覚まさせてくれたのは、誰かではありませんでした。
無力だった、あの頃の小さな私です。
周囲の価値観や、「こうあるべき」という人生というリングの中で戦い続けていた私に、あの子は白いタオルを投げてくれました。
私はそのタオルを受け取り、心の中でこう伝えます。
「ありがとう。」
「本当によく頑張ったね。」
「もう大丈夫。」
「リングを降りてもいいんだよ。」
その言葉を少しずつ自分自身に届けられるようになってから、私はようやく回復への一歩を歩き始めることができました。
トラウマと向き合うことは、過去と戦い続けることではありません。
あの頃の自分が差し出してくれた白いタオルを受け取り、「もう十分頑張った」と認めてあげること。
その積み重ねが、自分を責め続けてきた人生から、自分をいたわる人生への、小さくても確かな一歩になるのだと、私は信じています。
