恋とは何か?愛とは何か?

私たちは無意識に、恋愛関係、恋愛相談、恋愛対象、恋と愛をともに扱う表現を、言葉にして扱うことがあります。

しかし、その違いやそれぞれの持つ本当の意味について、あまり深く考えないのではないでしょうか。

本日は人を動かす大きなエネルギーともなる「恋」「愛」について、その違いと本質に迫っていきたいと思います。

🍃恋から愛に🍃

恋心がやがて愛情を伴い、愛になる。この過程はあれど、愛になったものが、やがて恋になる、という逆のパターンはあまり耳にしません。

恋に落ちた2人が、やがて、とも生きることを望み、紆余曲折を経て結婚し、生活、時間、お金、空間、あらゆるものを共有しながら過ごす。ここに出会った頃の恋心を忘れない人もいれば、愛?そんなもの!とすっかり当時のときめきを忘れてしまう人もいる。
実に結婚生活は様々であり、家族というシステムを愛が繋げている

🍃恋の悩みの主役は誰?🍃

恋愛相談を受けていると面白いことに共通した悩みが存在します。

💖相手は私をどう思っているのか?
💖追いライン(相手がラインの返事を返してきてないのに、また自分からラインを入れること)をしても大丈夫だろうか?
💖いつまで、相手を待てばいいですか?
💖最近、相手の態度が冷たくて、他に好きな人がいるのでは?と疑ってしまう💦
💖距離を置こうと突然言われてどうしたらいいのかわからない💦

恋に悩んでる方の声は本当に切なくて苦しい。そしてその多くに共通することは、「苦しい」「不安」「悲しい」主役は、「私」であり、相手のことを慮ることは少ない。
相手の気持ちが知りたい、という悩みの多くは「自分のことをどう思っているか?」に尽きる。

「お別れしたあの人が、今、幸せに暮らしているでしょうか?心配なんです!」という相談はほとんど見受けられない。

恋の主役は「私」なのである。

主役がいかにキラキラして、楽しく、満たされた思いで過ごせるか?そのクオリティを維持するために必死になって相手を獲得し、獲得したあとは、相手がいかに、「私」を必要とするか?恋は周囲との競争であり、パートナーを獲得したあとは、相互間における時間や関心の奪いあいとなる。言い換えれば、パートナーとの駆け引きである。

だから「恋に破れる」と人は言う。
愛に破れるとは言わない。

🍃愛とは何?🍃

では、愛とは何だろうか?
様々な愛のカタチがある。夫婦、親子、友愛、動物たちへ注ぐ愛情も家族同様である。
もっと視野を広げれば、人類愛、そして慈愛といった果てしないスケールで愛は広がっていく。

時に人は「愛」を履き違える。

自分の為すべきことを疎かにしてまでも、甲斐甲斐しく家族やパートナーの世話をして、自分を犠牲にする行為を「愛」だと勘違いをするケースが多い。

それを受け取った側は、その行為を「愛」だと思い、そして、その間違った「愛」を、いずれ、また、他の誰かに手渡していく。

🍃履き違えられた愛🍃

こんな言葉を聞いたことが無いだろうか?

あなたが将来困らないために!

私がこんなに我慢してまであなたを大切にしているのに!

みんな、あなたのためだから!

これらの「あなたのため」の正体は「自分のため」である。

将来、あなたが困ると本当に困るのは「私」。

自分が我慢してまでも、あなたをこんなに大切にしているのだから、「私」が見返りを受けるのは当然のこと。

「誰のおかげで今があるの?」・・・「私」のおかげよね!

一見、献身的に思える「愛」の正体は、大切な人を意のままに操ろうとする「支配」である。

そして、支配は執着を生む。

支配と執着によって生み出されるのが「依存」である。

依存は愛ではない。愛のフリをした「問題」である。

🍃依存を手放しにくい訳🍃

支配と執着の関係にどっぷり浸かってしまうと、愛と依存を見極めるのが困難になる場合が多い。本人はそれが問題なことだとは思わず、愛だと信じてそれをまき散らす。

愛だと思い込んだ問題を受け取った側は、一生懸命にその気持ちに応えようとする。

ここに、依存のサイクルが出来上がる。

お互いに需要と供給のバランスが取れている間は、愛と勘違いした依存関係を手放すことが難しい。

依存関係を中心に、価値観、習慣、考え方、人間関係、が変化し、そのすべてを健康的な本来あるべき姿に戻すのはとても根気のいる作業だからだ。

そのほかにも「情」「見捨てられ不安」「孤独への回避」などが依存関係を手放すことを邪魔する。

🍃本来の「愛」とは🍃

愛とは「存在」である。

存在することに条件等ない。

だから、「成績が良ければ・・・」「お金をもっと稼いできてくれれば・・・」「一生浮気をしないでいてくれたら・・・」

等という条件は一切存在しない。

どんな状況であっても、その人の存在を認めること、すなわち、その人の存在を非難したり排除したりしないこと、これが「愛」である。

かつて愛し合ったであろう二人が憎しみと恨みの中で苦しむケースがある。

自分を利用した、自分を傷つけた、自分を蔑ろにした、等、酷い傷つき体験をしたにも関わらず、相手への気持ちを手放せないのは、とても苦しい。

何をしても頭から離れることはなく、何をしてもうまく事が運ばない。

なぜ、その苦しい感情を持ち続けるのであろうか?

それは

どんな感情であれ、その人との関係性を持ち続け、繋がっていたいから、ずっと手放せないのである。

手放すことは自分を失うことではないし、過去の自分を否定することでもない。

過去の出来事を無かったことにするとか、忘れなくていい。

覚えていてもいい。

そこに振り回されて生きることをもう止める。

これだけでいい。

執着や依存、そこに伴う、怒りや悲しみといったココロの痛みから解放されることにより、自分が経験したこと、学んだことを冷静に振り返ることが出来る。

あの人と出会い、あの人と過ごしたからこそ、この経験が出来た、この学びがあった。

そこには、もう二人の関係を取り戻そうとか、嫉妬や執着は存在しない。

これが人としての成長であり、この成長に欠かせないのは人の存在、つまりはそれが「愛」である。

愛とは「存在」であり、その存在を通して学ぶことが出来る。

学ぶこととは成長することでもある。

人が人を愛することは奪い合うためではない。

ラテンアメリカの歌のタイトルにはこのようなものがある。

El amor se paga con amor~愛は愛で報われる~

歌詞の一部には

「私に意味をつけないでください」とある。

存在に意味などない。

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