裁かない勇気

トラブルの原因はそれぞれであっても、夫婦や恋愛問題の相談を受けていると、ご相談者の中に共通するエネルギーを感じます。

それは悲しいとか怒りといった感情を処理するために「裁こう」とするエネルギーです。このエネルギーは非常に強い勢いを感じます。

あの人は~すべき!わたしはこう扱われるべきなのに!

この~すべきという言葉は支配そのものです。自分の思い通りにならないから腹が立つのです。自分の思い通りになれば「良いパートナー」だし、自分の思い通りにならなければ「悪いパートナー」なのです。そして、何もかもうまくいかなくなると、このジャッジのエネルギーを自分に向けて自分を裁き始めます。

やがて、自己肯定感が低いと感じると自分探しを始めて様々なセッションやセミナーを渡り歩いて、結局はお金と時間を費やしてしまいます。

お金をかけたところで、何も変わりません。

自己肯定感なんてもともと無いんです。

そんなものは無い。

欠けている自分の何か、足りない何か、それはそのままでいいのです。

完全な人間はこの世に存在しません!

完全だったら神様です。

もしも、「自分は完全な人間です」と言ってる人がいたら、とても傲慢で自分を知らない人です。見た目は華やかかもしれません。

素敵!あんな人のようになってみたい!と人を惹きつけることが商売ですから、そんな人から話を聞いて、その人の言う通りにしたところで、その人の支配下に置かれるだけです。同じような見た目や行いをする人を量産してビジネスとして成立させるのが目的です。

憧れた人のコピー人間になることは出来ても、自分以外のほかの誰かにはなれません。

では、どうして怒りや悲しみの先に人を裁こうとするココロが存在するのでしょうか?

それは、幼少期に自分たちがジャッジされてきたことが影響するのではないでしょうか?

成績、能力、素行を比べられて、お前はダメだ!と焼きゴテで烙印を押されるようなココロの痛みをどこかで経験していませんか?

そのときに「わたしはわたしなのに・・・・」そんなココロの声を聴きませんでしたか?そのココロの声こそが、純粋な響きなのではないでしょうか。

裁かれたり比べられて、自分の存在をそのまま見てもらえないことはとても悲しくて苦しいことです。だからこそ、そうされないために、いつもどこかで緊張しながら生き抜いてきたのではないでしょうか?

緊張と「~すべき」「~しなけてはならない」はとても仲良しです。

つまり、ジャッジする人は自分のことも裁きながら生きてきたのです。

何も不足のない完全な自分を目指しながら。

だから人にも同じことを求めてしまう。その結果、パートナーは苦しくなってあなたの元を去ったり、あなたの前ではココロを閉ざしてしまったりする。

穏やかで思いやりのある関係を望むのであれば、まずは、裁かない勇気を持つことです。

かつてのわたくしも完全であることを周囲に認められたいために、一生懸命生き抜いてきました。そのころはいつも裁いてばかりいました。周りも自分も。

まずは、自分を知ることで、裁かない勇気を心掛けることで、自分にも周りにも穏やかな時間が流れていきます。

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