自己憐憫

つい先日

突然の愛猫とのお別れを経験いたしました。

先天的な心疾患を持っておりました。

完治する治療法は無く

2歳に満たない若猫を見送ることは辛く悲しく

深い悲しみの中で

時間が過ぎていきました。

多くの方から

私に出会えて幸せな子だった

とか

たとえ短い生涯であったとしても

とても楽しそうに

そして

幸せに暮らしていた

そんなお言葉をたくさん頂きました。

真っ暗な暗闇の中から

一筋の明かりが見えてきたように

愛猫は幸せだったのだ!

そう思うようになると

「あの子は可哀想な子では無い」

と気持ちがしっかりと根を張ります。

すると

「可哀想なわたし」とか

「わたしって可哀想」という

自己憐憫も悲しみを構成する要素からは

消えていきます。

この

「私って可哀想」という思い込みは

あらゆる場面で

ココロをこじらせていきます。

3年前にあいついで2匹の愛猫たちを見送ったわたくしは

自己憐憫をこじらせて

ペットロスの状態に陥りました。

今、当時を冷静になって振り返れば

自分で自分を可哀想と思うあまりに

お別れした猫たちにさえ

可哀想なことをしていたのではないか?

「私って可哀想教」の熱烈な崇拝者になると

溺れる状態で浮き輪を欲しがるように

救いとなりそうな

セミナーやセッションを

自分の中で引き寄せていきます。

ペットロスに限らず

失恋や離婚、不妊、流産、失業、破産・・・・

多くの喪失体験とともに

ココロの痛み止めとして溢れる情報。

「潜在意識を書き換えて自己肯定感アップ!」

こんなキャッチコピーも

うんざりするほど溢れてます。

高額のセミナー代金を払い

無理矢理自己肯定感が上がったフリをするのは

何の意味もありません。

それよりも

気づいた人から

せっせと

「私って可哀想教」を脱会すれば

おのずと

失ったものから

学べたこと

得たもの

幸せだったこと

を感じることができるようになるのではないでしょうか。

悲しみから生まれる感謝ほど

力強いものはありません。

自分の心の痛みを知ることで

次は自分が

誰かに寄り添えることができるのです。

これが本物の愛であると感じました。

愛のようでいて

愛では無いもの

それは

自己憐憫を手放せない人が欲しがる

同情というココロの浮き輪です。

結果的に自分さえよければいいのですから

受けた恩義を

循環できないのです。

ここに本物の感謝は生まれません。

私って可哀想教を脱会する後押しをしてくれた

愛猫と

お心にかけて下さったみなさまに

感謝いたします。

みなさまから頂いたご親切のバトンは

必ずつなげてまいります。

オンラインでのカウンセリング受付しております。

ZOOMの環境をご用意下さい。

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