共依存の関係から回復する過程で、多くの人が経験するのが「孤独」です。
これまで当たり前だった人付き合いや集まりが、ある日ふっと必要なくなり、
会っても心が疲れるように感じたり、以前ほど楽しめなくなったりします。
かつての私と、理不尽への耐性
かつての私は、理不尽への耐性がありました。
それは誇らしいことではなく、長年の環境の中で身についてしまった“魂のクセ”のようなものでした。
親の過干渉と過保護の環境下で、私は自分の人生を選ぶことができませんでした。
他の友達が楽しそうに旅行へ行ったり、就職をしていく姿を横目で見ながらも、
私は「許されない」という見えない鎖の中にいました。
だから、大人になってから初めて、誰かと繋がることや外の景色を見ることは、この上なく楽しいものでした。
けれどその中で、時に理不尽への迎合が抜けず、割に合わないことを引き受けても、
「嫌だ」と言えないことが続きました。
回復と、静かな独立
アダルトチャイルドとしての自分の課題に取り組み始め、
コミュニケーションスキルや境界線の引き方を学ぶ中で、少しずつ自分を守ることを覚えました。
それは同時に、「群れないこと」でもありました。
自分を守るために選んだ距離感は、静かで穏やかなものでしたが、
そこにはこれまで感じたことのない孤独の痛みもありました。
孤独の痛みは通過点
静かな独立は、孤独を伴います。
でもそれは、今まで外へ外へと向けていたエネルギーを、自分の内側に戻すための大切な時間です。
ここを通り抜けることで、「一人でも大丈夫」という土台ができていきます。
やがて、この土台の上で「選び取る交流」が始まります。
以前のように“誰とでもつながる”のではなく、
心地よさや安心感をもたらしてくれる人とだけ関わる、シンプルで深いつながりです。
選び取る交流の心地よさ
この段階では、
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義務感や寂しさからの付き合いは減る
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「会いたいから会う」という純粋な動機だけが残る
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少人数や一対一の深い時間を好むようになる
交流は、人生を満たすための必須条件ではなく、
豊かさを添える“選択肢”になります。
新しい景色
静かな独立は終わりではなく、始まりです。
その先に見えるのは、少なくても深く、無理のない人間関係。
大人数で盛り上がる光景とは違っても、そこには呼吸が楽になる安心感があります。
かつては許されなかった「自分の選択」が、
今は確かに、自分の手の中にあります。
そしてその選択こそが、これからの人生を静かに、そして確かに彩っていくのです。
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人混みのざわめきから離れたとき、
初めて聞こえる自分の声がある。
その声は小さくても、確かに私の中で生きている。
もう、誰の許しもいらない。
家族問題カウンセラーリコラ
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