品格とは 〜共依存からの回復とともに〜
本日は、私のオリジナルカード『愛と気づきの龍神カード』の中から、「40 品格」のカードについてお話ししたいと思います。 この白い龍神さまのカードは、私にとって特別な意味を持っています。
「品格」とは、ただ礼儀正しいことではなく、内なる静けさと誇りのあらわれ。
他人の評価を求めず、自分の光で生きるとはどういうことなのか――。
共依存からの回復とともに歩んだ私の経験を通して、その本質を綴ります。
私が考える「品格」とは、”人のモノを欲しがらない”ということです。
ここで言う”モノ”とは、物質的な持ち物に限らず、他人の関心や賞賛、感謝、評価、時間など、目に見えないものすべてを含みます。誰かの評価や注目を求めて焦がれ、手に入れようと躍起になる――それは、かつての私の姿でもありました。
私は長い間、過干渉の親の影響を受けて、自由や選択のない中で生き抜いてきました。
愛情を求め、期待に応えようとし、親の喜びが自分の存在価値だと信じていました。それは、まさしく親子の共依存の中にいたということです。
しかしその関係の中で、私は自分の本当の気持ちを見失い、他人の価値観で生きる苦しさを深く味わいました。そして「共依存症」という言葉に出会い、自分の内側を丁寧に見つめ直す旅が始まりました。
その過程で私は、評価を得ようとして身に着けたブランド物や、自己演出、周囲からよく思われようとする振る舞いが、自分の内面を覆い隠す鎧だったことに気づきました。中身が育っていないのに、外側だけを飾り立てて安心しようとしていたのです。
中身が育っていないのに自分を飾り立てる――それは、いわば「騒がしい空虚感」と言えるかもしれません。
また、援助職やコーチ、カウンセラーと呼ばれる方々の中にも、「数字」や「お金」へのこだわり、違和感のある連帯感、寄り添いや共感がなくただ指導だけを繰り返す人々と出会ってきました。その方たちから感じたのは、競争心や自己顕示、虚栄心。そうしたあり方には、私の感じる”品”はありませんでした。
最終的に私が回復にたどり着いた先生は、決して派手な宣伝をせず、大きな声で人を集めることもなく、資格証のようなものを配ることもありません。ただ、真実を、静かに丁寧に伝えてくれる方でした。その姿に私は深く癒され、導かれたのです。
私が考える品格とは、言い換えるならば、静かな誇りです。
上品な人は多くを語らず、見せびらかすこともしません。
この”静かな誇り”を育てるには、比べないこと、奪わないこと、無理に表に目立とうとしないこと。
そして、自分のペースで、自分を信じて進むこと、と思います。
私自身、かつて「すごいね」と言われたい一心で、無理をして人の役に立とうとしたこともありました。共依存から抜け出す過程で、その根底にあった承認欲求に気づき、自分の価値は誰かに与えられるものではないという真実にたどり着きました。
そして今では、「人の光を欲しがらない」「自分の光で照らす」――そんな生き方を意識しています。
愛と気づきの龍神カード「40 品格」の白い龍神さまは、私にとっての象徴です。
かつては何もできなかった無力な自分が、自分の意志を持ち、凛としたまなざしで空を見つめているような姿。
それはまさに、共依存から抜け出し、親から、他者から、自分を取り戻した今の私の姿と重なります。
かつて、歌舞伎町の「ヒゲガール」というニューハーフのお店を訪れたとき、あるオネエ様にこう言われました。
――「あなた、品があるわね」
その方は、圧倒的な存在感と洗練された美しさを持ち、良い意味での色気をまとった、とても魅力的な方でした。
他にも友人は沢山いましたが、私にだけそう仰ってくださいました。 その一言は、決して表面的な印象ではなかったと感じています。
欲しがらない、競わない、奪わない。そんな内面の静けさを、きっと見抜いてくださったのだと思います。
人の光を奪わない、自分の光で静かに照らす。
それが、私の信じる「品格」です。
そして、品格が備わっている人の言葉には、静かな重みがあります。
それは、自分を大きく見せようとせず、何かを奪おうとしないからこそ、言葉が真っすぐに届くのです。
派手さや誇張のない言葉でも、人の心に深く染みわたるのは、そこに”静かな誇り”が宿っているからと思います。
「どう見られるか」ではなく、「何を伝えるか」。その軸を持って語る言葉には、無理のない強さと、やさしさと、深さがあります。
私にとって、品格を育て、自分を生きる旅は、これからも静かに、誇り高く続いていきます。
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