シンクロから水晶へ

ふとしたきっかけで

「マヤ暦」といわれるものに出会った。

「占いではなく暦」

「古代マヤの叡智」

などの謳い文句は

自分に向けられた紋章の意味や

銀河の数字によって

非常に魅力的なものに映った。

メキシコの歴史

マヤ文明の遺跡など

初めて出会う学びの中で

古代の人が

「あなたは~なタイプの人です」

なんて言っていたのであろうか。

この疑問は消えることがなかった。

つい最近

マヤのシャーマン(メキシコ)のセッションを受けるチャンスがあった。

このときに

私の印はツゥオーク(こうもり)で数字は8と教えてくれた。

日本のマヤ暦と全然違うのである。

混乱したままのわたしは

本当のことと混乱した原因が知りたかった。

そして

日本において

以前にならった団体とは別の

マヤの暦を教えて下さる場所に辿り着いた。

とても丁寧な解説と

日本のマヤ暦の生まれた経緯を知り

混乱した理由も原因も理解できた。

そもそも

マヤ暦といわれるものは

古代マヤの遺跡に刻まれた日付(暦)

シャーマンの使うツォルキン(暦)

日本のマヤのツォルキン(暦)

これら三つは全く違うものであること。

そして

日本におけるマヤ暦といわれるものは

1989年より以前には存在していないこと。

古代マヤ人の叡智とか

マヤのエネルギーなどを謳い文句にして

ライセンスを発行して

人集めや金集めをしている団体は

ホンモノではないということ。

そのホンモノでない団体が溢れているということ。

「腑に落ちる」

とはこういくことを言うのだろう。

漠然としたマヤ文明のイメージに乗っかって

「古代マヤの叡智」という

出された情報を鵜呑みにしてしまったことが

混乱の原因であったことも

理解できた。

それはまるで

一点の曇りのない

ただただ

光を反射する

水晶のような情報として受け止めることが出来た。

今、多くの情報が氾濫している。

ストレスの原因にもなり得るだろう。

愛といいながらエゴにまみれている人

自信と自己陶酔をはき違えている人

優しさのふりをして人のものを奪う人

見極めていかなければならない。

わたしがマヤの文明に惹かれた理由は

これだけの長い歴史の中に

今を生きるヒントがあるのではないか?

ということであった。

考古学者の大学教授の先生からは

「マヤは多種多様であり決して一枚岩ではない」

と教えて頂いた。

マヤのシャーマンの研究をされている先生のご著書は

神話を引用されて

二極化して存在する物事は

善悪ではなく

悪者として退治されてしまう人も

本当の悪ではない。

このお二人の先生からの情報は

私に響くものであった。

騙す人と騙される人

奪う人と奪われる人

この世にはどちらも存在する。

最初から騙そうとしていたわけではない人が

ただただ情報の波にのまれて

人をだましたり

奪う役回りになってしまった

ということもあるかもしれない。

自分に響くものは何か。

見た目のきらびやかな印象

優しく聞こえる誘い文句に

飛びついてしまわないか?

「マヤ」という大きな存在から

さまざまなことを経験させてもらえた一年でもあった。

¡Dios Bootik!(マヤ語で ありがとう!)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする